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スタラグ・ルフト III(Stalag Luft III:Stammlager Luft、第三航空兵捕虜収容所)は第二次世界大戦中にドイツ空軍が運営していた捕虜収容所であり、捕虜とした敵国の空軍軍人(航空機搭乗員)を収容した。この収容所は、ベルリンの南東100 ml (160 km) の低地シレジア県、ザーガン(現在のポーランド、ジャガン)の街の近郊にあった。 この場所はトンネル掘削による脱走が困難なことから選定されたが、この収容所はトンネルを使用した有名な2つの捕虜の脱走で最も知られている。この脱走は、映画『大脱走』(1963年)と『木馬』(1950年)に描かれ、この各々の原作は元捕虜のポール・ブリックヒルとエリック・ウィリアムズにより著された。 == 収容所 == 将校専用の収容所だったにもかかわらず、この収容所はドイツ空軍独自の専門用語としては「オフラグ」(Oflag:Offizier Lager、将校収容所)よりも「スタラグ」として言及された。後に収容所は拡張され下士官も収容するようになった。ドイツ空軍により捕虜となった艦隊航空隊(英海軍)の航空兵も空軍として扱われ、区別はされなかった。時によっては航空兵以外も収容された。 収容所の最初の収容区画(東区画)が1942年3月21日に完成し、開所された。スタラグ・ルフト IIIに最初に収容された捕虜、彼らが自称するところの「クリーギーズ」(kriegies:"Kriegsgefangener"から)は、1942年4月に到着した英空軍(RAF)と艦隊航空隊の将校であった。元々は英軍の軍曹用に用意された中央区画が1942年4月11日に完成したが、1942年末にはアメリカ軍兵員に入れ替えられた。「大脱走」の舞台となった英軍航空兵用の北区画が1943年3月29日に開かれ、アメリカ人用の南区画が1943年9月に開設された。続く数ヶ月でかなりの数のアメリカ陸軍航空軍(USAAF)の捕虜が収容所に到着し始め、1944年7月には米軍将校用の西区画が開設された。各区画は15戸の平屋の小屋で構成され、各々が10 ft (3.0 m) x 12 ft (3.7 m) の広さの就寝区画に15名が5つの3段ベッドに分かれて寝ていた。最終的に収容所は面積で60 ac (24 ha)、収容者は約2,500名の英空軍将校、約7,500名のUSAAFの兵員と約900名のその他の連合国軍の空軍将校と数名の補助将校の合計10,949名になった。 この捕虜収容所は、脱走が非常に困難なように幾つかの設計上の特徴を有していた。特に脱走トンネルは幾つかの要素により計画の企てを阻まれていた。最初に収容所のバラックの建物は、歩哨が如何なるトンネル掘削工事でも発見し易いように地面から数インチ離されて建てられていた。2番目に収容所自体が砂礫地層の上に建設されており、この砂は明るい黄色であるため何者かがこれを地面(灰色の土)に捨てたり、あるいは衣服に付着しただけでも発見が容易であった。加えて、緩く磐石ではない砂礫地質ということはトンネルの構造的な強度が非常に脆弱であることを意味していた。トンネル掘削の3つ目の障害は、収容所の境界線に設置された地表の直ぐ下の如何なる掘削音も探知できると期待された地震計測用マイクロフォンであった。 最初に成功した脱走は1943年10月に東区画で発生した。現代のトロイアの木馬を彷彿させる手法で、捕虜達は赤十字からの荷物の梱包に使用されていた合板を使って跳び箱を製作した。跳び箱の中には人間、工具、泥の収納袋を隠せるように設計されていた。跳び箱は毎日境界柵近くの同じ場所に持ち出され捕虜達がその上で運動している間に跳び箱の中ではトンネルが掘られていた。毎日の終業時にトンネルの入り口に木製の蓋が戻され、表面に泥が被された。運動は跳び箱の本当の目的を隠蔽するためだけでなく、マイクロフォンに掘削の音を探知されないように音を立て続けるためでもあった。3ヵ月間でミッシェル・コドナー(Michael Codner)中尉、エリック・ウィリアムズ大尉とオリバー・フィルポット大尉の3名の捕虜が一時に1名か2名で交代してボウルをシャベル代わりに使用し、金属製の棒で地表に空気穴を開けて100 ft (30 m) 以上のトンネルを掘り進んだ。入り口付近以外の土は地上には持ち出されなかった。1943年10月29日の夜〔AIR40/2645 Part I - Official Camp History - SLIII(E)〕にコドナー、ウィリアムズとフィルポットは脱走を実行した。ウィリアムズとコドナーはシュテッティンの港にたどり着き、デンマーク船に乗り込み最終的に英国に帰還した。ノルウェー人のマーガリン製造者を装ったフィルポットはダンツィヒ(現在のグダニスク)までの列車に乗ることができ、そこからストックホルム行きのスウェーデン船に乗り込み、その後英国に送還された。長い間「大脱走」の陰に隠されていたこの脱走は、ウィリアムズの著書『Goon in the Block』(後に『The Wooden Horse』に改題)とフィルポットの『Stolen Journey』に記録され、1950年の映画『木馬』になった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スタラグ・ルフト III」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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